今年は良い年になってほしい
昨年はひどい一年だった。
震災、原発、洪水、経済・・・。世界的に色々なことが起こった。
今年は良い年になってほしいと切に願わずにはいられない。
福島産のコメから相次いで高い値のセシウムが検出されている。
こうなることが分かっていたのに、なぜ作付けさせたのか?
はっきり言わせてもらう。政府は分かっていたはずだ。あれほど汚染された土地で、安全な作物が作れるわけがない。もはや、故意にやっていると言っても過言ではないだろう。
農家や消費者を苦しめているのは、政府だ。
風評などと言うことばを流行らせ、あたかもヒステリックになり過ぎのような風潮をばら撒き、その裏で原発関連法案の成立や、基準値の引き上げを粛々と行って、無知な国民を小出しの情報で時間をかけてゆっくりと洗脳し、まるで事故は収束したかのような幻想を抱かせ、海外に向けた印象の操作に躍起なり・・・。
上げればキリがない。
彼らはすべて国を守るためだと言うだろう。確かにそうかもしれない。経済が崩れれば、あっという間に貧困の時代が来る。
だが・・・。それでも、あるところにはあるんだよ。仮に国民が飢餓に苦しみ、高額な医療も受けれず、治安の悪化で犯罪におびえる時代が来ても、潤っているやつらはいる。そいつらが、自分達の身の安全だけを確保するために国民を犠牲にしているのだとしたら・・・。
黙ってそれを許している国民がバカだということになる。
国を守るためなのか、それとも自分とその周りの仲間だけを守るためなのか。これは、人としての資質が問われる問題だ。政治家だろうが、自衛官だろうが、主婦だろうが、ニートだろうが、関係ない。
サンデル教授の授業を見て、考えたほうがいい。コミュニティーの一員として、今何をすべきか、個々が考えなければならない時だ。
それにしても・・・。分かっててやってるからムカつく。
表向きにしないだけで、膨大な資料を抱え込んでんだよ。その中には、人道的に公開しなければならないであろう情報もたくさんある。
法律とか、国益とかじゃなく、もはや倫理の問題だ。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H23/H23HO110.html
(国民の責務)
第六条 国民は、国又は地方公共団体が実施する事故由来放射性物質による環境の汚染への対処に関する施策に協力するよう努めなければならない。
この条文をどう取るか。法律なんて、もともとグレーになってて、読み方次第でどうとでも取れるのだが、もっとも悪く読んだ場合、「赤紙」状態になりかねない。
実際にそうなるかどうかではなく、法律として明記されれば、最終的にそういう判断が下る可能性を秘めている、ということ。
反対運動などをおこなうと、この条文に違反するかもしれない。
大丈夫か、この国は?
いや、大丈夫じゃないだろう。
そもそも、なぜまだ大丈夫なのかが分からない。もう、大丈夫ではないのに、大丈夫を装っているだけ。
憂鬱だ。
漫画を読むのは嫌いではない。
だが、単行本はほとんど買わないし、マンガ雑誌などは一切読まない。
理由は単純だ。買ってまで読みたいと思う作品が無いから。
おもしろい作品や嫌いじゃない作品はあれど、買って読みたいとまではなかなか思わない。
コレクションしなければならない、と感じるくらい、強烈な作品に出会いたい。
雑誌に連載していると、当然、読者の意見や編集者の方針などによって、有無をいわさずに内容が変更されたりすることがあるのだろう。
人気作品の引き延ばしや不人気作品の打ち切り、ストーリーや設定の改変など。
きっと「自由」には描かせてもらえないんだろうな。
そんな「大人の事情」で、名作になるはずだった作品が駄作に終わったケースはたくさんあるはず。
はっきり言って、昨今は読む側のレベルも低いから、「受けやすさ」の調整だけで売れたりする。
だが、本当に読みたいのは、「受ける」作品じゃなく、「おもしろい」作品だ。
ほとんどの読者がただの暇つぶしに読むのだろうけど、自分はそうではなく、本気で読める作品が欲しいのだ。
始まりから終わりまで、綿密な計画のもと、緻密に構築された世界観。伏線がクライマックスに向けて収束していく高揚感。
読む側が気を抜けば、大事な情報を見逃してしまうような、そんな鋭い切れ味。
そして、一貫した主題。ブレの無い、「完成」された作品。
この渇望を満たしてくれる作品は、きっとまだどこかにあるはず。
おもしろい漫画が読みてぇよ。
放射能と付き合うための原則がある。
それは、徹底した隔離、密封。とにかく、外に出さない、拡散させない。
ひとたび外に漏れ出せば、希釈こそされども減ることが無い。もちろん、半減期はある。だが、それは現在の量からおよそ半分になるまでの期間だ。
2年の半減期を持つ核種なら、2年でおよそ半分になる。さらに2年でもう半分。つまり、4年経つと4分の1になっている。
つまり、なかなか減らない。
食べ物から経口摂取しても多くが排泄される。だが、人の体を通り抜けたところで、性質が変わるわけではない。そのまま下水に流れて結局別なところで溜まる。
土を掘り返せば、掘り返した土の中に残り続ける。水で流せば、流れた水の中に残りつづける。
これほどまでに危険極まりないものが、大量に放出されたのだ。
しかも、その多くは実際は海に放出されている。
ひとたび拡散してしまえば、それを回収することは非常に困難である。そして、目に見えないだけで、いつまでもそこに居座る。
だからこそ、これ以上拡散させてはいけない。
これは大原則だ。
放射能にまみれた土や、瓦礫や、その他のものを、非汚染地域に移動させてはいけない。
閉じ込めること。今はそれが最善だ。
いらないもの。あるいは、依存を減らすべきもの。
原発、たばこ、自動車、テレビ・・・
(あくまで、自分のコンテキストだが)
考えてみたら、どれも巨大なマネーを生んでいる。
ということは、簡単にやめられるものではない。
そして、依存。
たばこをやめない人と原発を推進する人は似ている気がする。
車になれてしまったら、自転車で通勤などできないだろう。
依存とはそういうこと。
色々とわけアリで、生活環境が変わった。早い話、家にいる時間が増えた。
仕事をしていないわけではない。自宅で作業している。
だが、環境が大きく変わったことは間違いない。
自宅での作業は誘惑との戦い。時間をどう使うかは、完全に個人に委ねられる。
怠ければ、当然そのつけがまわり、自分の首を絞めることになる。
逆に、うまく時間を使えば、今までできなかったことにも挑戦できる。
色々とわけアリではあるが・・・。勝負の時期をむかえている。
何かにつけて右と左で括りたがる人がいる。
どんな主張でもそうだが、それ相応の確固たる実績と、揺るがない信念の持ち主がそう言っているのであれば、なるほど一理ある、とも思える。
だが、へんちくりんな自己主張とグラグラと揺らぐアイデンティティの持ち主が何を言っても、気持ち悪いだけだ。
主義・主張で徒党を組むのは構わない。組織や団体をあれこれグループ分けして、こいつはいい、こいつはダメ、と言うのも別に構わない。
ご自由にやってくれ。
ただ、ご自身はどうなの?とだけ、言っておきたい。
あと、現実問題、右とか左とかっていう話をしても、あまり意味をなしていない。街で100人にアンケートをとって、あなたは右?それとも左?と聞けばいい。大半が「?」という顔をするだろう。
加えていうならば、左とか右というのはもはや明確な何かを表す単語ではなく、そのコンテキストによって大きなバラつきが出ている。大真面目で語り合っていても、お互いに意識しているそれが異なっていては意味が無いだろう。勉強不足だとかいうのともまた違う。調べても、現代日本において、極めて曖昧な単語になっていることは間違いない。
そういうことだ。